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歴史

現在のように科学や医療が発達していなかった時代には、妊婦のお腹を力任せに圧迫したり、冷水や野ざらしにして腹を冷やす事により強制的な堕胎を行っていました。
しかし、これらの方法は胎児だけでなく母体にかかる負担も大きく、堕胎により死亡してしまう妊婦も多数おりました。
また、毒性のある植物を堕胎目的として飲む事や、細い串や小枝を子宮内に入れる事で妊娠組織を殺す形での堕胎も行われていました。
天保3年あたりにはどのような理由であれ子供を堕胎する事は禁止とされており、堕胎を生業にしていた人はこっそりと営業していたと言う証拠が見つかっています。

現在のように中絶が合法化されているのは、戦後にあったレイプ被害者がきかっけとなっています。
当時は二日市保養所と言う場所でのみ行われていましたが、優生保護法の施行に伴い全国の指定医師の元でなら中絶が可能となりました。

日本では妊娠から21週目までの胎児しか中絶が認められておらず、22週目~の中絶は禁止となっています。
22週目を超えた胎児は中絶した場合でも外で行きていけるだけの組織が備わっており、人間として法律上認められる為に中絶が出来ないとされています。
22週目までであれば、外にでて産声を上げる事はあっても、生命を維持する事は不可能となっている為に堕胎が可能とされています。
また、母体への負担を意識した場合でも、あまりに妊娠期間が長くなっていると子宮を傷つけ、母体自身の生命に危険が及ぶ事が考えられます。